脱サラして、プラモデル屋さんになってみる。

脱サラしてプラモ屋を起業した男の、趣味と奮闘の記録。

脱サラの訳、プラモデル屋をやりたい訳。その1

今回は、私が脱サラした訳について書いてみます。

 

脱サラの理由は大きく2つ、

①仕事での挫折

②自営業への憧れ

でした。

 

先ずは「①仕事での挫折」について。

 

私は、地元の某家電関連の会社に約20年勤めていました。

入社のきっかけは親戚のコネです。

面接試験を受けたところ、何故か採用されてしまいました。

仕事を楽しいと思ったことはありませんでしたが、10年も経つとそれなりのプライドを持って仕事をこなす様になっていました。

 

その頃は品質関連の業務を受け持っており、自分には向いていると思っていましたが、正直、これが自分のやりたい事(仕事)かと問われれば、答えは「否」でした。

 

しかしある時、会社から異動を命じられ、バイヤーという畑違いの業務を担当することになったのですが、これが挫折への引き金でした。

 

バイヤー業務が全くこなせなかったのです。

 

これまでと環境が違いすぎており、自分の社会人としての未熟さや、人間としての器量の狭さを突き付けられ、精神的に持たなくなっていきました。

そんな状態で働いても上手く行く訳もなく、仕事が溜まり、同僚にも上司にも、そして家族にも迷惑をかけていく自分に耐えられなくなっていきました。

 

2年程結果が出ず、その状態を見かねた上司により、バイヤー業務から外してもらうことになったのですが、品質関連の業務には戻れなかった為、もう自分はこの会社の中で何のプロにもなれない、と、心が折れてしまったのです。

 

次に「②自営業への憧れ」についてでが、これは弟からの影響です。

 

私の弟は、山形県米沢市で、「Cafe' Laboratory(カフェ ラボラトリー)」という喫茶店を経営しています。

この喫茶店で働く弟やスタッフ達が、実に生き生きと、楽しそ~うに働くのです。

楽しそうな店には、楽しい人が集まってくるもので、ここで沢山の面白い方々と知り合うことが出来ました。

自分が仕事で苦しかった時に、何度この店と常連客の存在に救われたことか。

 

「羨ましい!」

 

こんな風に仕事をしてみたいという思いが、私の中に堆積していきました。

弟からは、「会社辞めればいいじゃ~ん」と事あるごとに言われていたのですが、私は「お金の為だ」と自分を騙しながら、一歩を踏み出せずにいたのです。

 

そんな時、異動による挫折を体験し、生きている時間の大半を占める「仕事」の時間を苦しいだけの時間にはしたくないと強く思いました。

 

思い知ったのです。

 

仕事での挫折と、自営への羨望がピークを迎えた時、会社が2017年の10月に希望退職者を募ったのです。

 

私は、嬉々として手を挙げました。

 

今しかない!と思ったのです。

幸い、上司にも後押しして頂き、2017年11月末日、脱サラを果たしたのでした。

 

プラモデル屋をやりたい訳は、その2にて。

では~。